少年は、通常の赤子より身体値が下回っていた。けれど彼のような家では間々あることだった。それでも、母親はそれをどうにかしようと躍起になった。けれども結局、それは叶わない。
彼は笑顔を教えられた。教えてくれたのは乳母だった。少年は笑った。ずっと笑った。
少年は齢4で常に笑顔を湛え、それが崩れることは決してなかった。
少年にはそれしかなかった。
分厚い本の1ページを捲り、文字を斜めに流し込んでいく。もはや慣れた速さで情報を取り込んでいく。彼は流し読みはしていない。彼はきちんと読んでいた。必要なところではきちんと手を止め本を見ながら、左手で羊皮紙に写す。手元を一瞥もしないせいで、字はひどく歪んでいたがそれすらも慣れのためか読めないことはなかった。無論、彼自身が行為する場合に限るが。
彼は一言、「なるほど」と呟いて本から顔を上げた。
『×××××』
小さく呟く。それは静かな部屋にやや響き、そして消えた。左手にはペンを持ったまま、右手は宙に浮いている。その手のひらの上に、小さな電気がパチパチと持続して煌めいていた。
彼は笑っている。それまでも、そしてその時も、その後も。緩やかに弧を描く口元。細められた目。彼の表情はそこで止まっている。笑みが深まることも、止むことも、無い。魔法が成功した恍惚だろうか。電気がいまだ音を立てるのをじっと見守っている。ぴくりとも動かずに見守っている。ただ見守っている。動かない。
まったく動かない。
動かない。
『…××…×』
蚊の鳴くように。彼は小さく呟いた。消えることなく輝き続けた電気は消滅し、少年は大きく息を吐く。白い頬を汗が伝った。言葉無く、前ぶれ無く、少年は上半身を後ろに倒しベッドに収まった。再度大きく息が吐かれて、瞳が閉じられる。
静寂が破られることは無い。部屋の向こうはあまりにも静かだった。
(きれいだ。とても、とてもきれいだ。なんてすてきなせかいだろう)
少年は思った。
左手に持ったままのペンを放り投げて、天井に両手を突き出す。親指と人差し指で歪な円を作ってみた。
(うつくしくない)
思い切って四角に見立ててみた。親指が足りない。指を揃えて、前方に真っ直ぐ伸ばしてみる。微妙なおうとつが掌底の向こうに見えた。
(うつくしくない)
宙に球を思い描き、それを包む込むように手の平を広げる。握りこぶし大の球。美しい雷がやむことの無い球。どこからみても円であり調和の取れた美しい球。思い描く。先ほどの数十秒とあわせて、より詳しく思い描く。
『×××××』
バチバチと光が走った。奥へ、横へ、円を描き消えて行く電気。彼にはもう魔力が無かった。ほんの3秒後にはバチッと大きく弾かれて、そのまま両腕はベッドに横たわり、鮮やかだった電気は消えるに至った。
(うつくしくない)
(いまのはだめだ。とてもうつくしくない)
ほんとうに わたし はうつくしくない。
少年は思考する。何がどう美しくないのか?なぜ美しくないのか?何が美しいのか?何が綺麗か?どこまでが世界か?何が世界か?世界に何があるのか?世界に何かあるのか?
どこまでが、自分が触れられるのか?
無意味だった。ひどく無駄だった。疲れ果てた体は休息を欲している。けれど妙に冴えた頭は活動を止めようとしない。眠い。眠くない。
無価値な自問は寝付くまで続いた。
なぜこの自問が意味の無いものなのか?
意味のあるものはあるのか?
無意味なものなどあるのか?
果たして魔法は自分に必要なのか?
歩くことすら満足にできないのに?
休息は必要だろうか?
勉学は必要だろうか?
世界は必要だろうか?
わたし はひつようだろうか?
どこに?
だれに?
なぜ必要ないのか?
なぜ必要なのか?
どんなわたしが?
いつ?
どうして わたし はかんがえているのか?
少年は笑っていた。
2010/02/25