ななみのへや
 彼女の部屋の遺品は、おそらく彼女が望むよりもよっぽど多かった。

 ひとえに、彼女が最後に自室へ帰ったのは、『こんなこと』になるなんて想像もしなかった頃だからだ。
 なにもかも捨てたかったかもしれない。思いの強いものほど、持って逝きたかったかもしれない。見られて恥ずかしいものは全て焼きたかったろう。
 例えばこんな、書きかけの手紙とか、画策したパーティのメモとか。宛名の無いメッセージカードが貼られたプレゼントとか。

 名波家の者が学園に直接足を運ぶことは無かった。一々そんなことになっては、島内で子を殺された憎しみに満ちた大人の戦争が始まってしまう。生徒の遺品は教師、また或いは生前仲の良かった生徒によって仕分けされて、半分は島内で葬られた。船で運べる物量と、新しい改革の準備と、その他諸々の大人の都合による。
 船は毎日港と港を往復した。日に何度も往復した。そうして、島は徐々に新しくなっていった。少年少女が傷ついた路地はもう無い。
 私はそれが少し怖かった。

 まず真っ先に私に彼女のことを知らせてくれた少女は、声をかけると意外とすんなりこの部屋までついてきた。ものすごく不機嫌そうに眉をしかめていて、けれど決して文句は言わなかった。吐き出したい気持ちはあっただろう。それでもそれはきっと、私では聞けなくて、彼女で無ければ聞けない。
 もとより短い髪を更に切ったこの長身の少女は、自らの部屋は既に解約してあっていざ出発せんとしていたところだった。行動が早い。見切りが早い。選択も、決断も、そして諦めも早い。少女の行く末に、彼女のペースを落としてくれる存在が現れればいいと思う。失われてなどいない。きっとまた会える。
 そう願わずにはいられない。

 少女は参考書の並んだ机の引き出しを無造作に開けては閉め、漁っては舌打ちし、彼女の毎日がいかに平和だったかを確認した。やけにファンシーなメモ帳はどうも見覚えのあるものだったらしく、一瞬掴んで、…そして元に戻した。どうやら家からの仕送りらしい箱には見るからに使われていないかわいらしい洋服が詰まっている。
 机の上に整然と並べられた蔵書は、推理小説、ホラー短編、冒険譚に並んで機械や魔道工学、科学、物理などの参考書が並んでいた。沢山付箋の貼ってある魔道工学参考書をパラパラと捲って、それもまた少女は元に戻した。
 興味深い品揃えだ。レクサスとポプラの木、イーストシティは燃えているか?、雀の遺言、虚数の情緒―学生からの全方位独学法、エトセトラエトセトラ。魅力的な新書は、隣の宇宙法則の参考書同様傷一つ無く、読まれた形跡も無い。
 少女は目敏く見つけた。本と本の間に隠れるように挟まれた一枚の葉書。つかむ。宛先。送り主。ひっくり返して、その内容。やがて少女はそれも元に戻した。

 ベッドにかわいらしく飾られたぬいぐるみに気づく。小さな小さなテディベア。隣にはサメを模した厳ついフィギュアがあって、更に隣には二本足で立つ犬のぬいぐるみがあった。おそらく人にもらったのであろうそれらは統一性が無くばらばらで、ベッドを賑やかにしていた。
 名波家に送られることになるダンボールに、ようやく一品入った。更に、更に、箱へ送られるぬいぐるみたちを見送って、最後にテディベアだけが残った。
「そのベアはどうするんですか?」
「これは燃やす」
 少女は振り返りもせずに答えた。犬の顔を潰さんばかりにその上に分厚い魔道工学の参考書が放り込まれて、シリーズの揃った獣人冒険譚も詰められた。
 彼女の部屋に彼女の写真は無く、その友達ばかりが写っていた。よっぽど意図的にカメラを握っていたに違いない。仕方が無いのでそれらの写真はまとめて包装する。あとでどこかから彼女の写真を仕入れる他無い。
 衣類は全て燃やすという。装飾品も全て燃やすという。少女のぶっきらぼうな言葉に私は全て頷いた。えぇそうしましょう、それで構いません。少女は少し驚きを示したけれど、やはりすぐに納得して今度は備え付けのクローゼットを開けた。

 もちろんクローゼットにはコートやドレス、制服、諸々の私服がかけてあるわけだが、引き出しも設置してある。あからさまに肌着が入っていそうなその引き出しも、見もせずに燃やすわけにはいかない。けれど見るのは良心が堪える。その引き出しは少女に任せて、私は後ろを向いた。
 壁にかけてある小さな額縁。中には瑣末な賞状が入っている。2年も前になるのか、彼女が作文で佳作を受賞した時のものだ。彼女自身は、それを見せびらかしたい思いなど無かっただろうし、そもそもこの部屋に誰かを招きいれることも少なかったと聞いている。置き場が無かったのだろう。佳作では丸筒が配布されるわけでもない。私は額縁を外してダンボールへ詰めた。

 おや。つい声が漏れた。少女がそれに気づく。特に何かあるわけでもなかったのか、クローゼットの引き出しがパタンと閉じられる音がした。私はもう額の外れた壁から、目を離せなかった。
 てっきり額を止めていると思った画鋲に、一枚白い封筒が吊られていた。額縁に隠されたその手紙は、封筒の端に小さく「卒業してから考える」と書いてある。戦争に対してではなく、卒業に対して書かれた手紙のようだ。それにしたって凝った隠し方である。
 私は中を見ようとして、少女がそれを取り上げた。少女は乱暴に中の紙を取り出して検める。そして盛大にしかめっ面をした。
「あのバカ…」
 吐き捨てるように呟かれた言葉。
 少女は手紙を封筒に戻して、小さく握り締めた。この手紙は自分が処分する。睨まれて、呟かれて、私は微笑んだ。良いでしょう、大切にしてくださいね。少女はもう一度舌打ちをして、私に背を向けた。

 部屋に遺品は多かったけれど、年頃の女の子としては殺風景であったし、愛嬌が足りない。目の前の少女ほどではないのだろうと思うものの、それでも何か物足りない。
 私はふと気づく。彼女の趣味や特技を思わせる品が極端に少なかった。唯一それを思わせるものは分厚い一冊の参考書だけ。他の本はそれほど手がつけられた様子もなく、少女に至ってもここで燃やすつもりのようだ。授業に必要な毛筆や絵の具、B3版の資料集も残っていたけれど、やはりそれも特段使われた形跡は無い。
 彼女が特に大事にしていたもの。いの一番に思い浮かぶのは写真に写りに写った友人らであって、彼女自身で自己完結するような趣味は思い浮かべられなかった。得意な機械学も、我等が学園に専攻があるはずも無く、それが生かされることは無かった。参考書に貼られた付箋だって、年季の入ったものではない。おそらくは、機械設置の際に要した知識なのだろう。彼女の遺体の傍にも使い込まれた魔道情報学解説書が置いてあった。それと同じだ。

 問題は、机の上にこれみよがしに放置されたプレゼントだ。いつか誰かに伝えたかった言葉ごと放置されていて、少女はようやくそれに手をつけた。宛名は無い。拝啓、と文章が始まっているのだから、文末に据えられる予定だったのだろうと思う。少女は短い文章を読みふけった。包装紙の中身はなんなのか、空けてよいものか、誰かに届けるべきなのか。その判断にも困る。
 少女はしばらくの後、私に向き直った。
「……開けて、いいっすか」
「貴女がそう判断するのなら、どうぞ」
 慎重に、包み紙は開かれた。箱には簡易コーヒーメーカの写真が写っている。誰に送るつもりだったのだろう。私は少女の顔を伺った。綺麗にはがされた包装紙と書きかけの手紙をまとめて、ぐしゃりと捻った。不機嫌そうな顔を隠しもせず、少女は告げる。
「燃やしてくれ」
 曰く、コーヒーメーカも、この便箋も、まだアイツの物だ。アレと一緒に灰になるべきだろう。
 私は微笑んだ。そして頷いた。本当にその言葉に従ってよかったのか、全て頷いてよかったのか、少女に見せてよかったのか、本当のところはわからない。けれど彼女のことは公にするわけにいかなかったし、小さな生徒会長に負わせることも躊躇われる。その点この少女なら打ってつけだと。そして、…そして私は、死してなお、この背の高い少女の足を彼女が引っ張ればいいと、思った。

 少女の選別した遺族へ送り返す品は思った以上に少なかったが、スカスカのダンボールのまま封をした。名波家の住所を貼り付け、これで少女の仕事は完了である。人目に触れないように速達で出すのは私の仕事だ。
 私がありがとう、と告げると、少女は別に、と返した。正門まで見送って、背中を向けたまま手を振られた。私は喜んでその背に手を振った。


 こうして名波音々は学園から姿を消した。またその友人であった小柴和砂も姿を消した。他にも何人もの生徒が失われ、学園を去り、けれど復旧工事のせいで静かになることは無かった。学園祭も控えていて、皆忙しくしている。
 私は祈る。

 神よ、あなたはなんて惨いお方だ。

2011/05/23