二日目

 前触れはあった。というか、生まれた時から決まっていた。それでもきっと、まだ先だと思っていた。思っていたかった。私は学園を卒業しない間に本土に呼び戻されて、妻になった。
 彼と、公式の場で会うのは初めてだ。最後に見たのは、2年前の学園都市だっただろうか。気付いた時には見かけなくなっていて、風の噂で御当主の訃報だと聞いた。私にはあまり関係なかったけども。
 籍を入れて、挙式もしないまま私は実家の片付けもそこそこに星宮家に移った。一週間後には主人は戦場へ行くという。私がそれを知ったのは、星宮家で与えられた広く静かな部屋で、一日目の太陽が沈んだ頃だった。意図は明確だ。私は一人、眠れぬ夜をすごし、…けれど主人は来なかった。

 昨日、よろしくお願いします、と自己紹介をした私に対して「どうも」としか返さなかった主人が、朝一で私に言ってよこした。
「私に合わせるように」
 何を言われたのかはわからなかったが、私はその、綺麗な作り笑いに寒気がした。
 穏やかに、そして無感動に微笑む人だ。こうはなりたくない、と心底思ってしまうほどに。

「斎」
「おはようございます、母上」
「…お、おはようございます、…」
 星宮夫人が現れて、咄嗟になんと呼べばいいのか分からなかった。そんな私の葛藤も露知らず、主人は私の一歩前に出て夫人と話している。口を挟むことも出来ず、私は笑顔の応酬を見守った。
「昨晩は、どうでしたか」
「えぇ、まぁ」
「どうだったのかと聞いているのですよ。部屋へ行ったのですか?」
「お互いに忙しくしていたので、少し話した程度です」
「まったく…。…お前には、時間が無いのですからね」
「承知してますとも」
 自分は母と、こんな腹の探り合いをしただろうか。この縁談に関しては、幾度か攻防を繰り広げた気もする。…でも。日常的にこんな能面みたいな笑顔で向き合えはしない。疲れてしまう。半歩後ろで見ていれば、夫人が去った後に彼は一つため息をついた。そこに感情は無い。
「……あの、斎様」
「なにか?」
 振り向き際に彼が笑顔を作り出すのを見て、私はつい言葉を失った。唖然とした私をどう解釈したのか、主人は申し訳なさそうに苦笑した。
「……失礼。あまり、貴女に気負わせるつもりは無いのだが」
「…はぁ」
「日中は出立の準備がある。けれど、母も更にうるさくなるだろう。…夜、部屋に渡る。待っていてくれ」
 あぁ、やはりそうなるのだ。
 私は心中で納得して、俯いて是と応えた。

 夜も更けてから、彼は控えめなノックと共に現れた。
 主人のラフな格好を見て、私は少し息を呑んだ。そのまま寝室へ行くのかと見ていたら、そんな私を一瞥しただけでソファにどかりと腰掛ける。
「……斎様?」
 びっくりした。必要最低限を好む人だと思っていた。こんな回り道をするとは思っていなかった。…気遣われているのだろうか、と考えて、また少しどきりとした。
「……。昼間は」
「…はい?」
「…忙しいか?」
 悩んで出てきた言葉だった。話を繋ぎたかったのだろう。その様が如実で、私は小さく笑った。
「まだ、荷物も全然届いていませんし、あまりやることもありませんよ。広い屋敷や新しいメイドも勝手が違って……楽しゅうございます」
「……そうか」
 沈黙が訪れる。
 彼は仰向けに寛いだままこちらを見ようとしなくて、私は水差しをとりに歩いた。
「…斎様は、忙しそうですね」
「そうだな。まだまだやることがある。…出発前に、どこまで引き継げるか知れん」
「無理、なさらないでください」
 グラスに水を注いで、彼の前のテーブルに置く。その音に気付いて、主人は一口それを飲んだ。
 私はもう大分緊張はほぐれていた。…事に及ぶのはまた話が別だが、それでも幾分か落ち着いた。自分から話を振れる程度には。これで3度目の対話となるわけだが、まともに話したことが無い。私としては、沢山話してそのまま疲れて眠ってしまいたい。

 主人が口を開いた。
「――もう遅い。寝ろ」
「…………は?」
 主人は、ソファに足を上げて横になっていた。すう、と寝息すら聞こえるようで、私は酷く困惑した。もっとも、主人はこちらを見てはいないので、私の一人相撲なのだけども。
(ここで寝るというのだろうか。私は?というか、寝ろといわれても、……え?)
「…あ、の、……お休みになるのなら、寝室へ…」
「……」
 仰向けに閉じられた瞳がぱちりと開いて、そしてじろりと睨まれた。
「貴女は寝室へ。私はここで結構」
「い、いえ、しかし、そういうわけには」
「どうせ私のほうが朝早いのだから、ここのほうが何かと都合が良い」
「こっ困ります、どうぞベッドをお使いください。私がソファで寝ます。明朝も起こしてくださって構いません。…いえ、起きますから、ご安心して」
 睨まれて、若干機嫌悪げに告げられる。何か、私は変だろうか。絶対にこの展開はおかしい。とりあえず混乱した頭で思った。
 主人はのそりと体を起こして、そして真顔で言った。
「女性をこんなところで休ませるわけにはいかない」
「御当主をこんなところに休ませるわけにはいきません」
「……」
「……」
 私も真顔で返した。
 ここで大人しく寝室で寝ても怒られないんじゃないかとか今更ながらに思ったりもしたけれど、全て後の祭りだ。ついでに、今になって引くに引けない。私たちはソファを巡ってしばし睨みあった。
「…貴女が、こんなことで強情だとは思わなかったな」
「……すみません」
 深いため息の後に感慨深く言われて、少し我に返った。もしかして、まずいんじゃないか…。今更反省してみる。まだ粘るようなら、私が折れようと思った。こんなことしてるより、早く寝たほうがいい。私はともかく、主人は明日も早いのだから。
「…構わない。そうだな、最初からこうするべきだった」
 ふ、と鼻で笑って言われた。少し、楽しそうな声音。
 なんだろう、と思った直後には彼に腕を引かれ寝室へ向かっていた。綺麗に整えられたベッドに座らせられて、丁寧に靴を脱がされる。こんな風に男性に膝を折られるのは慣れていなくて、少しドキドキする。
 私が呆然としてる間に、彼もまた広いベッドにあがっていた。
「えっ」
「…いいから。今日はもう寝るんだ。私も寝る」
 そのまま抱きしめられて、二人でどさりとベッドに横になる。私がドキドキしてるうちにふとんを肩にかけられて、私の目の前で彼は目を瞑った。
 体に乗った彼の腕が、少し重くて、心臓がうるさくて、とてもじゃないが眠れない。
「……あの…」
「まだなにか」
 目を開ける代わりに更に抱き寄せられて、私は慌てて口を開いた。
「う、うで、離してください」
「…貴女が一人でソファに行かないと言うのなら」
「わかりました。行きません。だから…」
 思いのほかするりと腕は離れた。私はすぐに寝返りをうって彼に背を向けた。…ぐるぐるした思考のまま、背中に彼の寝息を聞いて、少し馬鹿らしくなった。
 やっぱり、疲れていたのだ。ずるずると騒いでしまった。無駄に疲れさせてしまった。
 私がようやく落ち着く頃には彼は本格的に眠っていて、起こしてしまいそうで寝返りもうてなかった。明日の朝、一体何時に起きれば彼に声をかけられるのだろう。……今日寝れるかどうかのほうが、問題かもしれない。
 私は小さく呟いた。
「……――おやすみなさい」
 返事はなかった。

2011/11/16