三日目

 朝、目を覚ますと、私は一人で寝ていた。
 もう随分日も昇っているのに、メイドが起こしにくることもないなんて…、考えてふと気付いた。そうだ、余計な気を使ったに違いない。昨夜私は主人と寝たのだ。
(……本当に、同じベッドに入っただけだというのに。……変なの)
 メイドを呼んで身支度を済ませる頃には、もうお昼だった。私はとてもとても労わられて、…馬鹿馬鹿しかった。

 その日も、夜中になってから主人は若干機嫌の悪そうな顔で現れた。
 昨晩と同じようにソファを陣取って、主人は私を見る。じっと見据えられて、少し居た堪れなくて目を逸らした。私もまた、昨晩に倣って水差しを取る。
「……昨日は、よく眠れたか」
「…え……あ、えぇ…」
 言えない。ドキドキしすぎて全然眠れなかったなんて言えない。私はグラスに水を注ぐ仕草で、また目を逸らす。もしかして嫌味か、と思ったけれど上手い返しは思いつかなかった。
「あの…今朝、起きれなくて申し訳ありませんでした」
「は?」
「え?」
「…あぁ、そのことか。起こさなかったのは私だ。気にすることはない。…もとより、あの時間に貴女が起きる理由もない」
 日中は完璧なエスコートをしてくれる彼も、この時間になると少しボロが出る。私はふと気付いた。彼も疲れているのだ。笑顔は面倒くさそうになり、睨まれる回数が増える。薄ら笑いよりよっぽどいいと、少し楽しくなる。
「一体、いつ頃起きてらっしゃるんですか」
「……貴女よりよほど早く、だ」
「ふふ、耳が痛いですわ。…時間を教えてくだされば、起きますのに」
「……5時だ」
 まぁ。
 するりと言葉が漏れた。今から寝たって4時間も無い。加えて来週には戦場に行くのに、こんなに疲れてどうするというのだろう。私の考えは筒抜けだっただろう。彼は突っぱねるように言った。
「あなたが気にする必要も、起きる必要もない。一週間耐えてくれれば、学園に戻れるよう手配する」
「……?」
 籍を入れるために戻ってこいといわれたのに、何を言っているのだろう。
「学園は…楽しかったろう」
「……えぇ、…まぁ」
 私は唐突に思い出した。彼は2年前、前当主の訃報によって本土に呼び戻されたのだ。2年前、…丁度今の私と同じ16歳で学園を出たのだ。
(だから主人は、この一週間が終わった後にもう2年、私に学園生活を送らせようとしている……)
 私は目の前の人がとても優しく見えて、嬉しくなった。遅くまで身を粉にして働いて、それでいてそんなことを言える余裕のある人だなんて、申し訳ないことにこれっぽっちも思わなかった。
「斎様は」
「…なんだ」
「私を学園に戻すために、…その……、なさらない、の、…ですか…?」
「……」
 早く寝たいだろうに、私は一体何を言っているんだろう。
 憮然とした表情を隠そうともせず、主人は私に言った。
「違うな」
「…」
「…まずもって、私はこの一週間で貴女を抱くつもりは無い」
 私の緊張も後悔も知らぬ主人が、きっぱりと断言する。
「貴女のような幼い女性を抱く趣味は無い」
「……。えぇと、一応、16ですけども…」
「わかっている。…貴女だって、その年で子供を産むのは相当な負担だと聞いたことがあるが」
 その通りでは、ある。一つ頷くと、それみろと言わんばかりに言葉を続けた。一方私はえも言えぬ迫力に気圧されて、口を挟むことも出来ないでいる。…正確にはこんなに長く語るのを見るのは初めてで、楽しい。
「大体、俺が勝手に出陣を決めたと言って母が怒っているだけだ。ましてそれが世継ぎの問題になるなどお門違いもすぎる。そして今度は俺に言わずに貴女を呼び戻して縛り付けるのだから始末に終えない」
「…」
「…俺は、良き当主たらんとしているだけなのだが、なぜあの人にはわからないのだろうな…」
 こんな顔もできるのか、と思った。少し憂いのある表情は、悔しいのか、それとも、…寂しいのだろうか?
 私にそれを推し量ることは出来ないけれども、彼がただ効率を愛し義務を重んじ結果しか見ないような冷たい人ではないと知った。普段の笑顔ほど器用な人でもなく、『俺』が素なのだろうとも。
「…巻き込んですまない。もう寝よう」
「……はい」
 大人しく頷くと、自然な所作で手を引かれた。また昨晩のようにベッドに二人寝転がる。
「…おやすみなさい」
「……あぁ」
 今日は、主人の方を向いてみた。目を閉じた彼は、普段よりよほど幼い。
(…当たり前だわ。だって、この人だってまだ18歳)
 二十歳も過ぎない少年で、私の2コ上の先輩。普通であれば、それだけのこと。

 きっと3時間後には起きれない。でも、明日の晩が今から楽しみだった。

2011/11/23